勉強が悪いのか?大人が悪いのか?
突然ですが、たとえ話をしてみましょう。
あるところにサッカーが好きで、サッカーのチームに入って習っている子どもがいるとします。
この子が突然、「サッカーが嫌いになった。」と言います。
理由を聞いてみたら、コーチが変わってこの人が厳しい指導をするそうです。
怖い・すぐに怒る・失敗をしつこく指摘する・理解できない理不尽なルールを守ることを強制する・個人が考えたアイデアや個性を認めない・「~すべき」「~じゃないと」という言い方をする。
とまあ、こんな感じです。
さて、問題です。 この子がサッカーを嫌いになった理由は、サッカーという種目に魅力がなくて楽しくないからでしょうか?
言わなくても分かりますよね。
問題はコーチです。
言い換えるなら、彼に「サッカーをさせるやり方」の問題です。
これって勉強についてのたとえ話なんです。
子どもが「勉強なんて嫌いだ!やりたくない!」っていう時 本当に嫌な原因はなんでしょうか?
よくある議論です。
「勉強はした方がいい!」
「勉強なんて意味ない!しなくていい!」
という対立する意見をよく聞きますよね。
これって、どっちが正しいでしょうか?
結論から言いますと、勉強は全く無意味ではないです。
やはり学力はある程度あった方がいいです。
でも、勉強にまつわる無意味なものが多くあって、そのせいで勉強が「楽しめてない」んだと思います。
僕らが当たり前にようにできること、ちゃんと字が読み書きできることや支払いのお釣りや飲み会の割り勘がすぐに計算できることは、生まれ持ってできることではありません。
習わないとできないことなんです。
発展途上国になると「識字率」という数字が問題になるし、海外のお店には引き算ができない人っていたりします。
だから、勉強をしなくていいと言うことはないです。
読み書き計算だけじゃなくて、僕から見ると、学校の勉強は「せめてこれくらい知っておくといいよ。」と言う基礎知識をパッケージにして効率よく提供してくれてます。
ほとんどが身に着けておいて得になります。
今年から僕の長男が小学校に上がりました。良い学校です。
校長先生も教頭先生も腰が低い良い方です。
担任の先生も誠実に子供たちと向き合ってくれてます。
「あんなこと良くできるよな~。僕だったら3日でキレて辞めるだろうに。」なんて、不謹慎なことを思うくらいに皆さんマジメに取り組まれてます。
ただ、システムとして学校という仕組みが勉強を楽しくないものにしていると思います。
大人数を一斉に相手にして、話を聞かせないといけません。
下手すると学級崩壊するリスクもあります。
先生たちに悪意はないと思いますが、自由にのびのびさせると言うよりは、ルールで縛って従わせるという部分のウェイトが大きくなってしまいます。
また、教育というのは公的なものであり、教え方や指導方法などもある程度決まっています。
先生が独創的なアイデアで自由に生徒の個性を認めながら指導するという、漫画みたいな理想的な教育は現実的にはやったら怒られるでしょう。
特に、ネットでの炎上などに見かけられる「揚げ足を取る」人が一定の割合でいる時代に、独創的なことをすると、「あんなことしていいんでしょうか?」と言う善意の皮を被った要らぬツッコミをされて、先生がケガをします。
と言う事情は分かっているので、現場の先生が悪いとは言いたくないです。
しかし、僕は自分の個人塾でリスクも結果も全部自分のものだから、自分で「こうした方が楽しく理解できるんじゃないか?」という教え方を、日々試行錯誤しながら思いつきで実践しています。
結果じゃないといつも言ってますが、過程を大事にする指導をすることで、実は結果もバンバン出てます。
僕から見ると、もっとこういう風にすれば、嫌いにならずに分かるようになって楽しめるのになぁ、と感じる点がたくさんあります。
長くなりましたが、僕がFBに(後からブログにも)教育のことを投稿するのは、そういう僕が感じる視点を皆さんにお届けして、こどもたちが少しでも楽しく勉強できるようにしていきたいからです。
追記:「そうは言っても勉強は地味な努力が必要だし、辛いよ」と言う意見はあると思います。
まったくその通りです。
ただ、それってサッカーでもそうなんですよね。
上手になるためには地味な努力や反復練習を延々する必要があります。
なのに、子どもはサッカーを楽しそうにやります。
その辺の違いは動機づけの問題かもしれませんね。
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