キリンビールのモデルは坂本龍馬?
先日も投稿しましたが、長崎観光が最高に面白かったです。
と言うのも、軍艦島ツアーは船で3~40分くらいかけて長崎から行くんですが、途中ず~~っとガイドさんが喋って解説してくれます。
この人の話がまあ面白い!
始まって1分くらいで、「この人アタマいい!」って感じます。
そして、「ちなみに~」とか「余談ですが~」とどんどん話が広がっていきます。
海を行きながら、「右手のクレーンが世界遺産ですよ」とか 写真の造船所の巨大な赤い鉄骨の三菱のマークの面積がテニスコートサイズだとか、豆知識が最高です。 #軍艦島コンシェルジェ
そこで気づいたんだけど、長崎ってある意味で三菱発祥の地というか縁が深いんです。
というのも、幕末に坂本龍馬は勝海舟の作った神戸海軍操練所で操艦技術を学んでました。
だけど、たった1年くらいで閉鎖になってしまったんです。
操練所のメンバーと長崎にやってきて亀山社中を作ります。
幕末の時代に薩摩藩から船を借りて、貿易の仲介や海運で利益を出す株式会社に似た組織でした。
有名な薩長同盟の時、第二次長州征伐に備えて薩摩藩名義で買った最新式の銃を長州藩に渡します。
その武器のおかげで長州は幕府を撃退したんです。
その銃を船で運んだのが龍馬の亀山社中です。
その後に、龍馬は土佐藩に脱藩の罪を許されて仲直りします。
亀山社中は海援隊と名前を変えて土佐藩の外郭団体のようなものになります。
有名な大政奉還の建白も龍馬のアイデアを遠隔操縦で土佐藩の家老の後藤象二郎に提案させてます。
その海援隊の担当になった土佐藩の郷士が岩崎弥太郎です。
数字に強く、商売の計算に向いているので抜擢されました。
大雑排にいうと、龍馬が暗殺されて解散した海援隊を引き継いで、海運の会社を岩崎が作ります。
この海運の会社が三菱財閥のルーツです。
こうやって考えると長崎と龍馬があったから三菱は生まれたんですよね。
なかなか感慨深いです。
ツアーでガイドさんが教えてくれましたが、キリンビールは三菱の会社です。
設立にはグラバー商会のグラバーさんが関わっているので、麒麟の髭はグラバーの顔に似せているという説があるそうです。
そして、麒麟は顔が龍で体が馬ですよね。
だから、これは坂本龍馬がロゴになったのでは?という説もあるそうです。
こういう話を聞くと長崎が面白く感じて、「三菱と坂本龍馬の聖地みたいな場所に来てるんだなと感じました。
残念ながら、長崎の人と話してると、「龍馬?ああ、居たらしいね。」くらいです。
きっと、出島にグラバー園に原爆と平和公園に軍艦島にと観光資源がたっぷりあるからでしょうね。
だけど、長崎の人はもうちょっと、龍馬を観光資源として押し出して欲しいな。
龍馬は高知出身だけど、長崎も充分聖地だし、三菱が生まれるきっかけの地だよ。
そんなことを思いました。
細かい歴史は間違ってるかもしれませんが、その辺は多めに見てね。
歴史って、ただ人名や年号を覚えるんじゃなくて、こうやって面白がるものなんですよ。
#歴史の学科卒 #大学時代は勉強してないけどW
hamasakiacademy1