【公民で逆転合格】丸暗記で公民やると地獄を見ます|桜蔭・渋幕・渋渋合格の東大卒塾長が教える①
【第1回】丸暗記で公民をやると地獄を見る理由――「法律はなぜ必要か」から始める政治経済入門
「公民って、用語を覚えるだけでしょ?」そう思っている方は要注意です。公民・政治経済を丸暗記で乗り切ろうとすると、共通テストで確実に点が取れなくなります。なぜなら、現代の入試問題は「知っているかどうか」ではなく「理解しているかどうか」を問うからです。今回は、政治経済の根幹をなす「法律とは何か」「なぜ必要なのか」という問いから始め、自然法・自然権・社会契約説までを一気に解説します。
そもそも、なぜ法律が必要なのか
突然ですが、法律がない世界を想像してみてください。誰かが物を盗んだとき、どう裁かれるでしょうか。法律がなければ、裁く人の気分次第です。あるお奉行様は「切腹」と言い、別のお奉行様は「腕一本切り落とせ」と言う。同じ罪でも、判断する人間によって結果がまったく変わってしまいます。これが「人の支配」です。
法律があることで、「これをしたらこういう罪になる」と事前に基準が決まります。さばく人の気分や感情に左右されず、誰に対しても同じ基準で判断できる。これが法律の本質的な役割です。
「法の支配」と「形式的法治主義」の違い
ここで重要な概念が登場します。「法の支配」と「形式的法治主義」です。この2つは似ているようで、まったく異なります。
「法の支配」とは、王様であっても法律に従わなければならないという考え方です。歴史的に、ヨーロッパには「王権神授説」という理屈がありました。「王様は神様から統治を任された存在だから、王様の言うことは絶対だ」というものです。税金を2倍にしても、気に入らない人物を死刑にしても、王様の命令であれば全て正しい。この横暴をやめさせるために生まれたのが「法の支配」という考え方です。
一方、「形式的法治主義」は「手続きが正しければ内容は問わない」という考え方です。法律に書いてあることは何でも正しい、という発想です。極端な例を挙げると、「借金を返せなかった人は奴隷にしていい」という法律を作っても、形式的法治主義では「法律がそう言っているのだから合法だ」となってしまいます。
この危険性を歴史が証明しています。ヒトラー率いるナチス党は、選挙で正当に多数派を獲得し、国会の議決によって全権を掌握しました。形式的な手続きはすべて正しかった。しかしその結果、何百万人ものユダヤ人がガス室で殺されました。形式さえ整っていれば何でも許されるという発想がいかに危険か、歴史が教えてくれています。
自然法とは「文章になっていない世界共通のルール」
では、形式的法治主義の誤りを正す基準は何でしょうか。それが「自然法」という考え方です。自然法とは、文章になっていないけれど、世界中の人が「これはやってはいけない」と共通に認識しているルールのことです。
身近な例で言えば、おかしな校則に対して「これは校則だから従え」と言われたとき、「その校則は自然法に照らしておかしい」と反論する根拠になります。丸刈りを強制する校則に対して、「人の頭髪を強制的に刈り上げることは人権の侵害であり、自然法に反している」と主張できるのです。
自然法の考え方は、国際法にも通じています。実は「国際法」という名前の文書は存在しません。しかし、「捕虜を虐待してはいけない」「無防備な市民を攻撃してはいけない」「毒ガスのような非人道的兵器を使ってはいけない」というルールは、世界中の国が共通して認識しています。文章にはなっていないけれど、誰もが「それはやってはいけない」とわかっている。これが自然法の本質です。
次回は、この自然法の考え方をベースに生まれた「社会契約説」と「三権分立」について解説します。ホッブズ・ロック・ルソーという3人の思想家が民主主義の土台をどのように作ったか、わかりやすくお伝えします。
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