ひろゆき・ホリエモンの中学受験否定論になるちゃんが反論②

【後半】ひろゆきの「多様性論」は正しいか? 本当に大切な「適正ゾーン」の話

後半はひろゆきの主張を検証します。ホリエモンよりも少し説得力があるように感じますが、やはり最終的には賛成できません。

ひろゆきの主張:「偏差値50以下の人の気持ちがわからなくなる」

ひろゆきが言うのはこういうことです。「世の中の人間の半分は偏差値50以下です。中学受験をしてしまうと、その人たちと断絶してしまう。将来、商品を買ってくれるお客さんの半分以上が偏差値50以下なのに、その人たちの気持ちがわからなくなったら、売れる商品や企画を作れなくなる。だから公立中学で多様な人間と触れ合っておく方がいい」というものです。

これは一定の説得力があります。確かに、似たような層の人間ばかりで育つと、世の中の大多数の感覚からズレていく危険はあります。

しかし「小学校6年間」で十分ではないでしょうか

見落としがあります。多様性に触れる機会は、公立小学校の6年間で十分に得られます。そもそも高校入試の時点で、学力によって進路は分かれてしまいます。進学校、工業高校、農業高校、あるいは高校に進まない選択。中学卒業後の時点でどうせ分離されるのであれば、中学校の3年間の多様性にそこまでの価値があるのか、疑問です。

また、ひろゆきが「それでうまくいった」のは、もともとの地頭が良かったからです。公立中に行っても高校で「えいやっ」と頑張ればMARCHに届く能力があった。中学受験をしていたら早慶に行けた可能性すらあります。「自分はそれで何とかなった」というのは、あくまで彼個人の話です。

人間はどの階層にいても「全員の気持ち」はわからない

そして最も本質的な問題があります。人間は、自分が属するクラスターから遠く離れた層の気持ちは、結局わからないのです。偏差値30から70まで全員の感覚がわかる人間など存在しません。どんな環境で育っても、人は自分の波長が合う人たちと集まり、その層の気持ちはわかるようになる一方で、遠い層のことはわからなくなっていきます。

ならば、自分の適正に合ったゾーンで、話の合う人たちと生きる方が豊かではないでしょうか。偏差値40の人が無理に偏差値60の世界に飛び込んでも話が合わずしんどいだけですし、逆もまた然りです。

結論:中学受験は「適正のある人」が使う手段

中学受験は全員に勧めるものでも、全員に反対するものでもありません。自分の適正に合ったゾーンへ進む手段として、必要な人が活用すればいいのです。一方で、能力のない子を無理やり難関校へ押し込もうとする教育虐待は、最も避けるべき選択です。お子さんの適正ゾーンを冷静に見極めることが、親として最初にすべきことではないでしょうか

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ひろゆき・ホリエモンの中学受験否定論になるちゃんが反論①