1ポイントアドバイス 国語:言語化をあなどるな!



誰向けの話か

今から喋る内容は、実は、国語ができないとか、そもそも書けないとか、そういう次元で悩んでる人には申し訳ないですが、必要ない話です。

もっと高い次元で、難しい学校、中学受験で難しい学校に行きたいとか、それこそ東大受かりたいとかみたいな人にはこの考え方すごく大事なので、言語化の重要性について語りたいなと思っております。


「書いてあるでしょ」は間違っている時がある

子供が国語できない、間違えてくる時に「ちゃんと読みなさい、書いてあるでしょう」って怒る保護者の方もいらっしゃると思うんですけど、これ、実は間違ってる時があるんですよ。

「え、国語でしょ?書いてあることを読むんでしょ?」って、確かに「次の文章を読んで答えなさい」と書いてあるんで、「書いてあるじゃない、読みなさい」ってなんですけど、実は書いてない時っていうのが結構あるんですよ。

全ての文章、全ての読解において実は書いてないことっていうのはあり得るんですよ。


実例:カレーのおみくじ

目の見えない障害者の方の話。カレーのレトルトを開けて食べることはできるが、目が見えないので何味か分からない。開けて食べてみるまで、「今日は辛口だった」とか「今日甘口だった」とかが分からない。

この方はこれをおみくじとか運試しっていう風に考えるようになって、前向きに生きてます、みたいな文章

生徒の反応

この意味が分からない、あんまピンと来てないなあっていう生徒がいた。やっぱりやってみたら、そこが理解できてないわけですよ。

重要:説明が書いてない

カレーの味が分からなくて、何が出るか分からないのをおみくじだとか運試しだと捉えてます、っていう、そういう発想の転換をしてるんです、みたいな文章があった時に、それのおみくじとか運試しで捉えることに対する解説っていうのは、もうその文中にないんですね、はっきり言うと。

書いてる作者も「これは説明しなくても分かってくれるよね」っていうので、さすがに「これはこうで」みたいにグチグチ解説をしてない。

言語化してあげると

おみくじ、運試しっていうのは簡単に言うと、ハズレがあるから楽しいんですよね。

必ず何か手に入るんだったら、それは運試しじゃなくて単なる等価交換。500円払ったらこれが手に入りますって言ったら、それおみくじじゃないですよ、単なる売買。

いいものが当たる時もあるんだけど、ハズレが来る時もある。でもそれって外れても楽しめてますよね。そのドキドキとかワクワクを楽しむんですよね。

全部当たりだったらその喜びがない。逆にその構造があるからこそ、そのワクワクドキドキで楽しめるから、別に外れたって十分エンターテイメントとして楽しめるわけですよ。

っていう風に考えたら、この何の味が出るか分からない、自分の好みの味が出るかどうかわかんない、そのカレーの味がどう変わるか分かんないものも、前向きなエンターテイメントとして楽しめるじゃないですか。

という話を説明してあげたら、その子は「ああ、そうかあ」って言ってた。


言語化とは

今僕が説明した部分のこと、一切書いてないわけですね。

文章というものに関しては、もうどこまで細かく説明するかっていうのはキリがないんですよ。なので、「このぐらい書いとけば、この隙間は読む人間が補ってくれるよね?」っていうのは、もう言語に関するコミュニケーションである以上は必ずあります。

だから全ての答えが書いてなかったりしますし、実は今言ったようなギャップがあるところに、「これってどういうことですか?」みたいな問題が仕込んであることもあります。

難しい学校ほど

書いてないから、「はい、自分で考えて、今僕が喋ったようなことを自分でその場で言葉にしてね」っていうことが問題になる場合もあるんですね、難しい学校で。

これはまあ僕が言ってる「言語化」ってやつです。

**難しくなってくればなってくるほど、「そんなん書いてあるものを持ってくるぐらい、うちの学校を受けるぐらいの受験生の能力なら普通できるよね。じゃあそれは聞かないわ」**と。

じゃなくて、今言ったようなものを、そこにある作者が「これは説明してないけど、分かってくれよ」とか「分かれよ」みたいなものを、「お前いかにどのくらい自分の言葉で説明できるんだい。それをチェックしてやるよ」、みたいな記述問題があるんですね。


読解は能動的なもの

しかもそれが別に傍線部で問題になってなかったとしても、実は話の展開を読むためにそこにギャップがあるんで、自分でそこを補って、「ああ、これだからそうか、運試しってことはこういう風に考えてるんだな」っていう風に考えてあげないと読めなかったりするんですよね。

なので、実はすごく受動的に書いてある言葉だけを目で追えばいいのではなくて、「ん、これはちょっと説明されてないな、あ、これってこういうことだな」みたいに今言ったような解説を自分でどんどんしながら、だから勝手に自分がその筆者の解説者になるぐらいの気持ちでやらないと、実は込み入った思考のものって読めないんですよ。

東大・開成

で、東大の国語なんか、むしろこれをやってくれと。「これをどのぐらいお前はできるのかチェックしてやる」みたいなのが問題になったりしますし。

開成の国語の問題とか、東大の国語と似てんですよ。当たり前ですよ。東大にバンバン受かる学校なんで、東大に受かりそうな人間が欲しいから、問題が東大に似てくるんですよ。


まとめ

**何が言いたいかっていうと、言語化を侮るな。「書いてないことを読め」「書いてないことを自分で勝手に言葉にしろ」「考えろ」**っていうことがあるのでですね、ただ書いてあることを読めば済むみたいな、そんなロボットみたいなことじゃないんだよっていうことをね、見知りおきください。

普段から何をすべきか

やっぱり説明ですね。普段から「じゃあこれどういうこと?説明して」みたいな感じで、何でもいろんなことを言葉にして説明する習慣がついている、これすごく大事です。

一言で言うと、読解っていうのは実はすごくアクティブで能動的なものですよと。「書いてあるじゃん、ちゃんと読みなさい」みたいな、そんな受動的な奴隷みたいなものではないんですよ。


ポイント:

  • 全ての答えが書いてあるわけではない
  • 隙間を読む人間が補う
  • 言語化=書いてないことを言葉にする
  • 難関校ほど言語化を求める
  • 読解は能動的なもの

hamasakiacademy1

受験生へのエール:国語で困ったら「駄作を作る勇気」を持て!

質問回答:中学受験国語 行間はどうやれば読めますか?